シシュマレフ空港で二人の荷物を軽々と運ぶ

リチャードの娘さんのステイシー

シシュマレフ島

一攫千金を夢見る男たち

ノームの犬ぞりレース

アンカレッジからノームまで1200Kmの犬ソリレースゴール地点

ノーム

カリブーの角はエスキモーの勲章

空港からの一本道

リチャード家の入口で記念撮影の小鉄

島に近づくと青空が見えてきた

夏はサンドバギー冬はスノーモービル

リチャード家の入口

ノームからシシュマレフ島へ向かうセスナ

シシュマレフ島

ロシアの先端まではわずか200km
 
北端のウエルズからは
100kmで
肉眼でも見える距離である

私は写真家「星野道夫」氏が過ごした
北極圏の島のことを知り
何が何でも行って見たくなった

島には宿泊施設も食堂もない

 あらゆる旅行社からの返事も

「NO」

シシュマレフ島
シシュマレフ島

北極圏の生活とは一体どんな暮らしが
待ち受けているのか興味が湧く

滑走路だけの空港に,迎えのトラックと
日本製のサンドバギーが待っていた

島で最初に出会ったのが
リチャードの三女の

「ステイシー」(
26)とは不思議な縁である

同便でノームへ出かける為
セスナを待っていた
美人のエスキモー人がその人である。

乗り継ぎのノームでは6時間の待ち時間があり
お陰で町を探索する事が出来た

定刻の530分にセスナは飛び立った 

折から降り出した雨に視界はゼロ

先行き心細い旅の始まりである

しかし島の上空にさしかかると
天気も回復し
,島の姿が現れた
 
旅は天の味方が必要だ

今から34年前の1973年に一人の日本人が
エスキモーとの
3ヶ月の生活を体験している。

冬はマイナス40度~50度のフリーザーの
世界であり
, 4月から8月は

白夜で太陽は沈まない

北緯66度の北極圏の9月は

強風が吹き荒れることも知らずに島を訪れた

最も良い季節は
6月から8月で
気温も
15度前後まで上る事を現地で知らされた

取材で訪れた日本人は寝袋持参で
体育館や教会で宿泊するのである 

私たちは幸運に恵まれ
,
エスキモー人と生活を共に出来る機会を得た

通常ルートは関西-成田-シアトル-アンカレッジ
-ノーム-シシュマレフ島のルートを取る

関西からは成田での乗継が悪く
カナダのバンクーバーを経由した

アンカレッジでB&Bを経営する

加藤さんが唯一望みを繋いでくれた

彼はメディアのガイド役として

島を訪れた経験者だからである

やっと吉報が届いた宿泊先は

「リチャード家」と言うだけ…。

米国・ロシア国境のベーリング海峡に近い

アラスカの西部に位置する

地球の温暖化で沈み行く島として

一躍
,脚光を浴び,世界的に有名になった

「シシュマレフ島」はロシア語である

エスキモー語では「キギタック島」と言う

登場人物 

リチャード・エドウィン スタセンコ(65)宿泊先の主人 教師


リチャード・ワレック スタセンコ (61)奥さん

長男 デニス(39)なめし工場のマネージャ・空港職員・ハンター    

長女 メリー(30)幼稚園の先生 次女ケイト(29)

三女ステイシー(26)9月22日結婚

ロビー・ニンゲツ(40)デニスの友人・大工・船の持ち主

ロードリック(6)メリーの長男 ハリー(2)メリーの次男

ジョイ・ブラック 校長先生 唯一の学校(3歳~18歳)185人
 

運転はリチャードの息子デニス(39,
宿泊先のリチャードの(65)の名を告げると
5分も掛からず到着 

その日は「
911日」,
ニューヨークのツインタワーが
テロにより崩れ落ちた日である

テレビは当時のツィーンタワーの
映像を何回も映し出している。

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