南米大陸から3700km

タヒチから
4000km

地球上で最も孤立した島である

人が住む最も近い島でも2000kmある 
この不便さが島の遺跡を守っていた

海底火山から形成された

火山島で3つの火山湖は直径
1500mもある

今では地下水が飲料水となっているが

昔は湖が島の生活を支えていた

モアイと島の歴史

レストランの隣の客が自分の注文したものを分けてくれる

博物館の中で悠々と寝ている犬

火山活動で出来たイースター島にあるクレーター南西部にあるカルデラ湖にある

ラノ・カウ

1週間通ったタハイ儀式村(1960年

今夜は二人のディナー

最上さん

アフ・ナウナウ 7対の内4体はプカオが載っている
博物館にあるモアイの目はここで発見された

目の入っているたった1体のモアイ

島の住民、最上夫妻と囲む食卓

今夜の小鉄はよく話が弾む 

私たちはこの島の風土習慣に

会っているのかも知れない

楽しい夕食は延々と続く…

タクシードライバーのフェリームニョ・小鉄・筆者

博物館に展示されているモアイの顔

初めてモアイ像と対面したとき

自然の風化とモアイの歴史が

その石像に滲み出ていた

鼻の低い顔、とんがっている顔、

頭にはプカオ(帽子)を被り 

細身の女性の石像や

小さな子供の石像などなど…

巨石文化は

エジプト・インカ・マヤに続くもので

至る所で考古学の謎にふれる

道路の真ん中で牛追いをしている

タロイモのスープ

魚のセビッテェ

放牧されている牛

日中は紫外線が強く

朝夕はセーターやジャンパーを着用 

風は年中吹いて大変過し易い

これじゃ夏暑く冬寒い大阪へは

帰れまへんなぁ~

島の42%が世界遺産、

笑顔で暮らす島の人々と仲良くなるのに

そう時間はかからなかった

1826年ペルーのリン鉱石の採掘人夫として

島民が奴隷狩りの対象となった

その数1000人 

一年後に奴隷解放され
島に生還したのはわずか15人

島には不毛地帯が広がる 

観光事業に目覚めたのは
40年前(1967)のことである

見学ルートは厳しく規制されており
モアイに触れる事も許されない

島民の生活は朝はゆっくり

夜は朝まで食事時間は別に決めずに

お腹が空いたら食べる習慣

島で通ったレストランは

夜の
11時~12時に続々と

島民がやって来る

夕食は連日9時か10時頃から

ミッドナイトまで…

小さな島の海岸線に
モアイ像が十数か所ある 

1000体以上のモアイ像は
島民を見守っていたのであるが

そのほとんどが崩壊され

わずか
40数体が復元され
年間
2万人の観光客を楽しませている

復元された「モアイ」の1体だけに

目が入っているが最初は
全てのモアイに目が描かれていたとある

歴史が島民とモアイの悲劇を物語る