丹頂鶴のスライドショー

釧路の丹頂鶴

ツララが下がる

ティモフスクの駅

釣った魚は今夜のおかずに

川に穴を開け釣りをする筆者

少数民族「ニビヒ」の子供

更衣室にカラフルなコートが並ぶ

教室内

生徒数21名

女子トイレの絵

男子トイレの絵

子供たちが書いた絵

チュルウンベデ村

キングサーモンは脂の乗りが最高

ボルシチ

筆者

リージラマナブナ

小鉄

小鉄のひとり言

 白一色の中に綿帽子を被ったような雪景色には感動しました

思っていた寒さも防寒着と防寒靴のお陰でそれ程でもなく,マイナス20℃の雪道の散歩を楽しんだ。サハリンの旅は何もかもが初体験でした。

 スパスィーバー ありがとう

20071124日~125日          旅の鉄人 池内嘉正

商社に働く日本人は,この島は
利権に絡むと許可書一枚ですら
「コネと金」次第と……

何処の国にも良く似た事があるもんだ。

勝手が違う島めぐりは
多くのロシア人に出会えたのも
同行の小久保さんのお陰と感謝

無事千歳空港に到着した途端
身体の力が抜けてきた

凍りついた川に穴を開けて
釣り人は素手で魚を手掴みにしている 

魚は入れ食い状態

通り掛りの私たちに惜しげもなく
持って帰れと……
まるで皆が知人のようである 

サハリンの人たちは極寒の自然と
闘いながらも生活を楽しんでいる 

少数民族は助け合いながら
生きているが過疎化が進んでいる

ぶっきらぼうに見えるロシア人も
付き合ってみると人がいい 

島と言えば「南の島」を想像するが 

極寒の島も癖になりそう

マイナス
20℃~30℃の雪道を歩いていると
いつしかそれが当たり前のようになってくる

 真っ白いパウダー状の雪は

町全体が綿帽子を被っているようで
その美しさに寒さも忘れてしまう

雪の表面は光を受けてキラキラと輝いている 

日本時代のサハリンは遠い昔のこと
 サハリンの地図には
北方四島とひとつの地図になっている 

千島列島をクリル諸島と呼ばれているが
国後島とサハリン間は周一便のフライトがある

サハリンから北方四島へ訪れるルートは
可能であるが日露返還問題で
政治的な問題が絡んでいる

夏の北方四島のアドベンチャーへは
是非訪れたいと血が騒いできた

村の小学校の生徒数は21,
色とりどりの帽子に洒落た上着 

少数民族の「ニビヒ」の子供は

ハニカミ屋さんが多い 

子供たちは礼儀正しく何処の学校でも

教室に入ると全員「起立」をして

私たちに挨拶 

普段の飾らない姿で写真撮影をお願いする

家庭料理のもてなしは

「ボルシチ」
(鶏肉とキャベツ・タマネギ・赤カブ)

冷たくなってもその味は
今も舌の記憶に残っている 

ロシア料理とも思えない
あっさりとした味は私の好みにピッタリ

 小鉄も美味しいと残さず頂いた

お土産のサーモンの燻製は
臭いが強すぎるので遠慮しておいた

「村の人口は?」「知りません」

早速村の資料室へ電話
 村役場の返事は「285人」 

この村では元気な内は
何かの仕事について働いている 

人生の楽しみ方はロシア人に軍パイを上げる 
各家庭では突然の来客にも
好意的に歓迎してくれる 

この村へは日本からの観光客は皆無と言うが
白銀の世界に子供たちの笑顔がまぶしい

一時間遅れで機上の人となり胸を撫で下ろす
全てが初めて尽くしのサハリンの旅

ジープで雪道を走って少数民族の村を訪れ
知人宅で食事をご馳走そうになる

チュルウンベデ村の
リージ・ラマナブナ(
65)宅は
綺麗に整頓され清潔な室内であるが

トイレとシャワーは学校の施設を
利用しなければならない

サハリン空港の国際線は国内線の隣の小さな建物
「モスクワ-サハリン」は一日二便も飛ぶが

「札幌―サハリン」は周一便
 
プロペラ機からボーイング737に
変わって遅れや欠航が多くなったとか……。 
たった一機で

「ソウル-札幌―サハリン-函館」を
飛び回っている

もう一機は修理中,回復は12月中ごろと言葉を濁す
ロシア国内では航空機事故は良くあるとか物騒な話

 折角北海道まで来たのだからチョッと寄り道して釧路の丹頂鶴の撮影を楽しんだ

午前6時太陽が顔を出し空がオレンジ色に輝く中で

鶴の吐く息が白く霧のように見える瞬間のシャターチャンスを狙う 

この写真がなかなか撮れない 

マイナス
8度サハリンより暖かいがジッと鶴の飛来を待っているのは辛い 

しかしまだかまだかと期待で胸が膨らむ

白と黒の姿にうっとりと見とれる いつ見ても美しい丹頂鶴

「丹頂鶴お知りは何色?」「もちろん黒」「ブゥ-」

「白でした」羽の先は黒でお尻は白 

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