キプロス共和国 キプロス島_ニコシアからの旅案内
- 2007年5月 8日(火) 12:26 JST
- Contributed by: tetujin60
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北ニコシアの市場
住居を覗く妹と小鉄
新石器時代の住居を再現
9000年前の円形住居跡
新石器時代のヒロキティア遺跡
キレニア城
2300年前の難破船
教会の前庭でハトと遊ぶ子供
教会の内部
ラルナカの聖ラザロ教会
ラルナカ考古学博物館
ラルナカ空港
そして10cm位のガラスの容器が目に付いた
「これは何?」
「涙の壷です」「エッ涙の壷」
当時、夫が戦場へ行くとき
妻の「悲しみの涙」を
壷に入れて持って行ったと伝えられている。
キプロス人のガイドのオルゴさんに
「キプロスの女性は皆そうなの?」
…問いかけの答えは笑顔だけが返ってきた
「昔の人は情が深かったんだネ!…」と
小鉄(女房)を振り返ると
もうその場を立ち去っていた
城壁のすぐ下の港町は散策するのにちょうどいい
タベルナの店員は遠い日本に憧れを持って
しきりに話しかけてくる。
「東京まで何時間かかる?」
「気温は何度?」
だが残念ながら大阪は知らないと言う…。
南ニコシアの考古学博物館にある
愛と美の女神「アフロディーテ」の銅像
私が興味を持っている「ヨハネ騎士団」に
よって造られたキレニア城には
2300年前の難破船が保管されているのには驚いた
沈没船は(14m×9m)海底の砂に埋もれていた
原型のままの物をペンシルバニア大学が
引き上げ復元したとされている
4人乗りの貿易船でキプロスからは銅を
ギリシャのサモス島からは
アーモンドなどを持ち帰った
2300年の歳月を経た今も当時の状態のまま
ガラス容器に保存されているのを見ると
目が点になるほど引き付けられる
キプロスの歴史・文化はどの博物館でも
手の届く位置に置かれているのには納得できない
今から3000年~4500年前の青銅器時代には
既にエーゲ海の島々へ銅の交易を
していたとされている
ラテン語で銅をキプロスと意味するらしい。
当時はひとつの島であったが
現在は南から北へ行くのにもパスポートが必要
ガイドは北側の人しか出来ないが、生まれはトルコ
紀元前8200年の頃の集落跡は新石器時代のもの
地中海最古の遺跡や集落を訪ね歩く旅は
気の遠くなるほどの太古の世界
イスラム教とギリシャ正教と歴史と教会
キプロスの初代大統領のマカリオスの像は
10数mの巨大なもの
17年間(1960~1977)もの間
この国を治めた
古代博物館には紀元前3000年からのものが
展示されているが残念ながら撮影は禁止
飛行場のあるラルナカを出発してニコシア(首都)-北キプロスの東部ファマグスタ
-南ニコシア-北ニコシア-キレニア-南キプロス・トロードス地方-オモドス村-
パフォス-ペトロ・トゥ・ロミウ-アポロン神殿-クーリオン古代遺跡-リマソール・
ヒロキティア遺跡-レフカラ村-旧市街-コロッシ城-ラルナカ-アギア・ナパ-
ラルナカ-ドバイの旅のルートを訪れる。
北ニコシアの国境から南ニコシアを見る観光客
簡単な国境に見張り番が一人
ココが国境ですと言われなければ
路地裏かと思うほどの所
カメラを向けるとダメとの
ゼスチャーに怒っている様子も無い
この壁も何時かは取り除かれる日が来るのだが
ココに来るまでは壁の存在すら知らなかった
ニコシアからの旅案内